今日はフクロウをペットとして飼っていた
歴史上の人物のお話。
あの有名なイギリスの看護師
フローレンス・ナイチンゲールは
意外にもコキンメフクロウを飼っていたのだそうです。
名前はアテナ。
ご参考までに下は
カントリー・オウルのコキンメフクロウのゆめちゃんです
ナイチンゲールは1850年6月にアテネのパルテノン神殿を訪れた。
そこにはコキンメフクロウが巣を作っていたのだが、
1羽の雛がギリシャ人の子供たちにいじめられているところを彼女は目撃する。
雛は巣から落ち、明らかに手当てが必要な状態にあった。
彼女は雛を助け、ギリシャの女神に因んでアテナと名付け、餌もやるようになった。
まだ卵から孵ったばかりだった雛は、「ランプを持った貴婦人」との間に稀にみる強い絆を築き、
彼女の忠実な友となった。指にとまって餌を食べたり、
彼女が籠に入るよう言うとそれに従うほどだった。
しばらくすると、ナイチンゲールがどこに行くにも彼女のポケットに大人しく収まって
一緒に行くほど親密になった。
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しかし1855年、看護師としてクリミア戦争に従軍することになったフローレンスが
その準備に追われるようになると
家族はこの小さな鳥をしばらく納屋に住まわせることにした。
そうすれば納屋がネズミに荒らされることもなくなると考えたのだ。
不幸にも、アテナはあまりにも飼いならされていたため、
そこでじっとしているばかりで、餌が運ばれてくるのをいつまでも待っていた。
しかし、何も運ばれてこないので
フローレンスが戦地に赴くという日にとうとう餓死してしまった。
フローレンスはかわいがっていたペットの身に起きたことを知るとひどく取り乱し、
出発を2日遅らせた。
そしてアテナが専門家の手によって防腐処置を施されるよう手筈を整えた。
アテナの死骸はロンドンの剥製師のもとに送られ、
まるで生きているかのような姿勢で丁重に剥製にされた。
その後、アテナはフローレンスの家に戻ってきて
フローレンスが亡くなる1910年までいつもそばにいた。
アテナはそれから複数の人の手に渡ったが、
2004年に買い戻され、ロンドンの聖トマス病院にある
フローレンス・ナイチンゲール博物館に常設展示され
今に至っている。
1855年にフローレンスの姉であるレディ・ヴァーニーが
妹への贈り物として個人出版した「アテナの性と死 パルテノンからやってきた小さなフクロウ」が
クリミア戦争の前線にいたフローレンスのもとに送られ、
ひどい熱に苦しんでいた彼女を元気づけた。
姉の話では、
フローレンスが出発を遅らせている目まぐるしい1週間に涙を流したのは、
死んだアテナの小さな体をその手に受け止めた時だけだったという。
「かわいそうに、こんな小さな体で・・・」と彼女は言ったという。
「大好きだったのよ」
~「フクロウ その歴史・文化・生態」デズモンド・モリス著より~
もしクリミア戦争がなかったら
ナイチンゲールが世界史に名を残すこともなかった代わりに
アテナとの悲劇的なお別れもきっとなかったことでしょう。
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2016年5月14日(土)OPEN
■営業時間: 平日 11:00~19:00(受付18:00まで)
土日祝 11:00~20:00(受付19:00まで)
■定休日: 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は営業いたします)
■ご予約承ります。 TEL:090-1243-7217、090-8792-7145 メール:fukuroucafe.countryowl@gmail.com
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